心の動く時間をより多く過ごす

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自分の考えていることなどをこのようにインターネット上にて表現していくことに抵抗感はありつつも、このような活動をさせてもらうにあたって、僕がどんなことを考えながら関わらせてもらっているかというのもちょっとずつオープンにしていった方が良いのかなという空気も感じています。

苦手かもしれませんが、ちょっとずつ「コラム」という形でこっそりと表現させてください。

この「コラム」には他のスタッフや保護者にも出来たら登場してもらいたいと考えています。

さて、僕は日本生まれ、日本育ちの32歳の男性です。

高校までは基本東京都で育ちました。(途中小学校の3年間をカナダのバンクーバーで過ごしました。親の仕事の都合でした。)

基本的には日本の公立の小学校・中学校・高校と過ごし、大学も国立大学で、大学卒業後フィリピンにて2年間過ごしたものの、帰国後は縁あって、鳥取県立の農業高校で6年ほど講師をさせてもらっていました。

なので、他の多くの学校の先生同様、人生のたくさんの時間を日本の「学校」という社会の中で過ごしてきたことになります。

事あるごとに色々なところで話をさせてもらっていますが、このような活動をしていますが、決して日本の公教育を批判したくて、対立軸としてサドベリースクールをしているわけではありません。

現場の先生方がとても真面目に一生懸命子どもたちと向き合い過ごされていることも知っているつもりです。

新田サドベリースクールが誕生した経緯も、「森のようちえんまるたんぼう」の卒園児保護者さんの有志が集まって幼稚園の次のステージとしてどんなものが考えられるかという勉強会がスタートしたのが最初でした。

僕も当時、高校で講師をしていましたので、教育者のはしくれとしてその勉強会に混ぜてもらい参加していました。

そこで国内外の色々なオルタナティブな教育を学びました。

その中でも僕の心を鷲掴みにしたのはアメリカのサドベリースクールでした。

こんな教育が成り立つのか、と目からウロコがポロポロ落ちる想いでした。

高校で講師をして3年目だったでしょうか。日々高校生と向き合う中で「学び」とはなんだろう、どうしたら質の高い学びの時間を過ごすことが出来るのだろうと葛藤の日々でした。

僕は大人になって社会に出て本当に楽しい時間を過ごさせてもらっていますが、学生時代どうだっただろうと考えたときに、手放しで「楽しかった」と言うことは出来ません。勉強はさほど苦手ではなかったし、テストの点も取れていました。ただそれも中学校までで高校に入ると、「授業」の時間は退屈になり、心躍るような授業も少なかったように思います。どうやって教室にある漫画を読もうか(「進学校」と言われるような高校でしたが、自由な校風で教室にはいつも漫画が並んでいました。)とか、早くサッカーしたいなぁ(サッカー部に在籍していて、割と部活に打ち込んでいたと思います。)と思っていました。

今思えば、学校で行う授業は受験の為の勉強が多く、自分が学びたいと思うこととは乖離していたのだと思います。「何のためにこの勉強をしているのですか?」という問いに腑に落ちるような答えをくれた先生は少なかったように思います。「テストに出るから」「受験に必要なものだと思って割り切って」「大人になってこういうことも知らないと恥ずかしいから」など。

僕は大学生になって、社会人になってやっと「学び」って楽しいなって素直に思えるようになりました。それは自分に必要な(自分にとって必要だと思える)学びを自分でつかみ取っていくことが出来るようになったからだと思います。

学びを自分の手に取り戻したからだと思います。

僕は公立の学校は学校でとても大切で絶対にあった方が良いと思っています。

でも、多様な学び方がもっと世間に認められても良いのだと思うようになりました。

僕にも子どもがいますが、自分の子どもをサドベリースクールのような学校に通わせたいからサドベリースクールのスタッフとして関わっているというよりも、自分が子どもたちと向き合ううえでサドベリースクールのような環境で子どもたちと向き合えたらどんなに幸せだろうと思ってやっている部分の方が大きいですし、最初の動機はそのようなことでした。

「学び」の方法って多様であって良いと思っています。

「これしかない」となると、それに合わずに苦しくなってしまう子ども、保護者はたくさん出てきます。

多様な子ども、多様な保護者がいるように、学びも多様であって良いと思います。

都会ではそれが適いますが、田舎ではなかなかそのような風にはなりません。

人口8000人を切った智頭町で学びの選択肢が生まれたということは大きなことだと思っています。

僕は万人にとってサドベリースクールが良いとはもちろん思っていませし、他の素晴らしい教育を実践されている機関も多数知っています。でも地域に子どもの育ちの場を選択できる環境があるというのは大事なことだと思っています。

欧米の方ではずいぶんそのような環境になっていっているようです。

オランダなどでは、フリースクールに公的な助成も入っていて、公立の学校を選ぶのも、オルタナティブな学校を選ぶのも家庭への負担は変わらないそうです。

僕の子どもが社会に出るときに、どんな社会になっているかは誰も分からないことではありますが、今ある仕事の半分はなくなっており、新しい半分は今では想像出来ないような仕事が出来ているという研究者もいます。

そういった話を聞くにつれて、やっぱり教育も変わっていかなくてはと思うのです。

社会に自立して生きていく力を養う準備期間として学校をとらえるのならば、サドベリースクールのような学校で、小さいうちから自分と向き合い、社会と向き合い、自分がどのように社会で生きていくのかを考えながら、自分で課題を設定し、トライ&エラーを繰り返しながら、社会に巣立っていく準備をしていくのも十分選択肢の1つとして考えられるのではないかと僕は思っています。

最後に余談にはなるのですが、先ごろの新内閣で、文科相に多様な教育機会を確保するための議員立法成立の為に頑張っている馳さんが就任されましたね。

とても興味深く馳さんの動き、中央の動きに注目しています。

同じ「はせ」でちょっとした親近感も感じています。

やっぱり、ちょっと文章は苦手です。

まとまりの無い、読みづらい文章だったかと思いますが、最後まで読んでくれた方がいましたら、どうもありがとうございます。

合掌

(平成27年10月9日 長谷洋介)