全員参加の話し合い

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
LINEで送る

「話し合い」

「話し合いを大事に」って良くここでも書くし、言ってもいるように思いますが、「話し合いを大事にしながら、民主的にスクールを運営すること」ってどんな形なのでしょうか。

スクールが始まった当初は、「1日2回(朝の会・帰りの会)の話し合いの場を設定し、全員参加で行う事。」という風な形でスタートしました。

全員参加しながら、みんなで話し合って、色々な事を共有し、創っていこうという試みでしたが、「話したくもない話題、聞きたくもない話題」に対してその場に居て時間を過ごすというのは難しい事です。

(大人を例にとってみても、自分の興味の無い範疇の話し合いに参加する事は苦痛を伴う事を考えればこの事は容易に想像つくかと思います。)

スタート当初から、色々な変遷を経て今があります。

(会の回数が減ってみたり、自由参加になってみたり、会の形を2種類つくってみたり)

今では、毎日の朝の会(自由参加)と週に2回のしんさ会(自由参加)があります。

スクールのルールだったり、行事だったり、買い物だったり、全体に関わるようなことはしんさ会で話し合われていますが、これは事前に話したいことを紙に記入し張り出し、その議題について話し合いたい人が会に参加します。(会の前に議題について読み上げる時間もあります。)

そのようにしんさ会が今年度は行われていましたが、「大事と思えるような事が、生徒たちに浸透していないのではないか。」という問題意識から、「これは大事」としんさ会の途中に思える場合は「全員集合」をかけて、みんなで集まって話ししようという風に最近はしていました。(それより前は、会の出席をとって、欠席した人は決まったことが書いてある紙をチェックするという事もやっていました。←これは多くの生徒に不評で途中なくなりました。)

ただ、一昨日月曜日の話し合いの時に「全員集合」を呼びかけて話し合おうとしたときに、「この全員集合について話し合いたい」と年長のHくんから提案があり、全員でこの話題について話し合いました。

「議題をあげた人や、それについて話し合っている人たちが大事だと思う事であっても、みんなで話し合う必要はないと思う。全員集合したら話し合いの質は保たれないし、それに時間を取られることを嫌がる人もたくさんいると思う。大事なことは、今まで通り話し合いたい人が話し合って(「大事な話で、多くの人と考え決めたいから話し合いに参加して」と声掛けするなど工夫しながら)、決まったことを「全員集合」して報告するで良いと思う。報告で十分だと思う。」

というようなHくんの意見。

この意見に対して、何人かが、「それってこういうこと?」「じゃあこういう風にしたらいいね」とかいくつかHくんの意見に肉付けしたり、共感したり、質問したりしながら、Hくんの意見が概ね取り入れられました。

基本的に話し合いの場では、自分よがりな発言が無く他の子たちの事を考慮して話し合いの場がなされていること、などが「安心感」「お任せ感」に繋がっているのかと思いますが、また1つみんなで良い話し合いが出来たなと思っています。

それについて一生懸命考えている人、興味を持っている人たちが話し合うことが一番話し合いの質をあげますからね。

今後もこの「話し合いの場」がどのように変遷していくか興味深く見守っていこうと思います。

「話し合いの場」「掃除のあり方」なんかはホントにスクール創成期から何回も変遷を経て、だんだんとみんなが心地良いと思える場所に向かっていっている気がします。

それを、スクールの生徒と共に歩めていることが前回の記事からの繰り返しになりますが幸せなことだと感じています。

【文 長谷洋介】