まなびって

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鳥取県議会の一般質問に於いて、川部議員が「2. 教育機会均等法と多様な学びの場について」議場で県の足羽教育長と議論してくださりました。

その様子は鳥取県議会インターネット中継で見ることが出来ます。

令和3年6月定例会 6月21日 本会議 一般質問鳥取県議会自由民主党  川部 洋 議員(49分18秒)

唯ちゃんが分かりやすく関係部分だけ切り出して編集してくれた動画は以下です。

「2. 教育機会均等法と多様な学びの場について」(13分55秒)

その動画を昨日スクールで「観たい人?」と声をかけたところ多くの人が画面の前に集まり一緒に視聴しました。

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僕が学生の時って、国会中継とかましてや県議会・町議会なんてものはとても退屈で距離のあるものでありましたが、新田サドベリースクールのメンバーの子たちの中には、興味関心を持ち、これだけの人が画面に集ったり、新田サドベリースクールの事が町議会で取り上げられるらしい!と情報をキャッチしたら議場まで傍聴に行ったりとか、自分たちが関係する環境について大人たちがどう捉え、どんな話をするのか、興味を持って関わる姿勢があります。

そんな子どもたちの為にも、大人たちはきちんとお手本になるモデルであるべきだと思うし、背筋が正される思いでした。

社会環境は与えられるもの、という意識は多かれ少なかれ人にはあるものかと思いますが、本当の民主主義って、社会は自分たちが作り出している結果であって、気に入らないところ、直したいと思えるところは対話を通じて変えていけるんだ、そういった意識を持つことってとても大事な事だと思います。

僕はそんな意識がここ新田サドベリースクール(他のデモクラティックスクールも)では育まれやすい環境だと思っていますし、社会にしても、自分の人生にしても、しっかりと自分をプレイヤーとして参加させて主体的に生きていくという姿勢はとても尊いものだと思っています。

学びの主人公は自分自身です。

学校と言われる教育機関の主人公は、校長先生でもなければ、教育委員会でもなければ、先生でもなければ、児童生徒1人ひとりです。

その子どもたち1人ひとりにとって、どんな環境が良いのか、子どもたちを中心に据えて(子どもたちの最善の利益というものに焦点をあてて)考えていく必要があります。

新田サドベリースクールの例をとってみても、「どうあるべきか」「いかに行政・学校と連携するのが望ましいか」という議論が子どもたち本人の視点や意見を欠いたまま、大人たちだけで議論・対話している節があります。

教育委員会などの関係者の中には、実態を観ようともせずに「保護者の勝手な教育的思想で持って子どもの意思とは関係なく新田サドベリースクールに通わせている。」と認識し、平気で実態も確かめないままそのような事を口外する人も中にはいます。

新田サドベリースクールは準メンバーも含めると約20名の子どもたちが今現在スクールを利用しています。

その子どもたちの状況や置かれている環境というのは千差万別でとても十把一絡げには出来ません。

関係する大人たち(サドベリーのスタッフ・教育委員会・学校長・担任の先生など)は丁寧に子どもたち(保護者たち)とも対話を重ねて子どもの最善の利益に焦点を当てながら自分たちに出来る事をしていく必要があると思います。

川部議員も議場で言及してくださっていますが、新田サドベリースクールに通う子どもたちの事にもっと関係する大人たちは関心を向けるべきだと思います。

今まで「そこまでフォロー出来ません。学校に「復帰」するときはスクールで家庭でしっかりと学力の補償をしてから「復帰」するようにしてください。」と言われ続けてきました。

確かに「保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と教育基本法第十条(家庭教育)にも書かれています。

しかし、僕も県立の高校で先生をしていた経験がありますが、自分のクラスの子が何らかの理由(どの子にも何かしらの理由で学校に来ることが出来なくなる可能性はある。)で登校しなくなったら、心配しますし、家庭に本人に直接連絡を取って様子の聞き取りをしたのちに、担任として学校として何か出来る事はあるか思考を巡らせ相談し、出来る事を関係機関と連携しながら取り組みました。

僕のこの感覚は担任の先生として、学校の先生として間違っていないと思うのですが、今まで新田サドベリースクールに通う子どもたちの担任の先生がスクールに本人の様子を見に来られたケースはゼロです。

校長先生ですら、ほとんどスクールを訪問することもありません。

「担任の先生にも学校長にも学校にも、特にしてもらいたいことはありません。」とそもそも子ども本人、保護者にニーズが無いのであればそれで良いのかもしれません。そういうケースの時には逆に何かしようとするとマイナスに働くこともあるからです。

でも、少しでも何か担任の先生や学校にしてもらいたいことがあった場合はどうでしょうか?

「新田サドベリースクールに通う子どもの事は知りませんよ」というスタンスであったならば、本人・保護者が困るケースも往々にしてあるかと思います。

どんな学びを智頭町で、鳥取県で、日本でデザインしていくのが望ましいのか

千里の道も一歩より

丁寧な対話の先にしか答えは無いのだと思います。

新田サドベリースクールの子どもたちがそうやってスクールの毎日をデザインしている様に、実社会でも対話を通して関係者が納得できる学びの場をデザインしていけたら良いのではないかと思います。

みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いします。

文:スタッフ 長谷洋介