会議で発言するのは良いこと?

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こんにちは。さとちゃんです。

時々、保護者の方にご家庭での生徒とのやりとりを聞かせていただくことがあります。

「『いろいろと思うことがあるんだったら、会議で発言したり提案すればいいじゃない。』と子どもに言うんですけど、実際にはなかなか会議での発言にはつながらないようで…」というようなご相談は、毎年少なからずの保護者様からいただきます。

サドベリースクールでは、最大限子どもの意志を尊重します。それは、「意見を言わない。」という意志も尊重するということです。

誰に、いつ、何を言うか言わないか。誰と、いつ、何をして遊ぶか遊ばないか。

それらはすべて、生徒本人の決断に委ねられている訳ですから、「発言する。」あるいは「だまっている。」ことに良いも悪いも無いのです。

冒頭の会話の例でいえば、もしもその生徒が会議で発言したくなれば、きちんとするだろうから、それまでは本人の意思に任せよう。という雰囲気が新田サドベリースクールには日々満ちています。

大人からの「もっとはっきり意見を言ったら?」「もっと勉強したら?」「もっとゲームの時間を減らしたら?」「もっと他のお友達とも遊んだら?」などという発言は、子どもの中に「自分は何か、足りていないところがあるんじゃないだろうか…」と感じさせるような気がしていて、私はできるだけ避けたいと思っています。

もしもそのような発言をする必要を感じたら、それはその子の友人のひとりとして、「あなたはきっと、もっと〇〇したほうがいいように私は感じる。なぜなら、〇〇だと私は思っているから。でも、決断はあなたがしていいんだよ。」

というように、なるべくはっきりと理由を伝えたいと思っています。

いま自分が相手に伝えたいと思っている、「もっとはっきり意見を言ってほしい。」「もっと勉強してほしい。」「もっとゲームの時間を少なくしてほしい。」などなど…その理由はどこにあるのか?しっかり相手に伝わるようにまず自分側の理由を整理してみると、自分の抱いている価値観がハッキリしてきます。

それから、たとえばスクール内の会議ではあまり意見を言わない生徒でも、他の場所ではハッキリと意志を伝えたりしていることもきっとあるのではないかと想像するのです。なぜなら、人間というものは日々様々な異なる立場に置かれるものだと思うからです。

私の例で恐縮ですが、私は新田サドベリースクールのスタッフをしている時には、一番ぽんぽんと言いたいことを言っているように感じます。

しかし、新しく始めた副業ではまだうまく人間関係を結べていないので、発言は極力慎むようにしています。

家に帰れば、夫とは敬語で話します。たぶん、言いたいことの半分は「言わずにおこう。」と決めて、関係を良好に保とうと努力しています。

きっと誰でも、そんな風に時と場面、一緒にいる相手との関係性の中で、「この場面において、自分はどのような存在であることを選ぶのか?」と、意識的にも無意識的にも瞬時に決断しながら過ごしているのではないでしょうか。

だから新田サドベリースクールの生徒達も、大人が考える以上に「いま意見を言うと、自分が不利になるな。」「この意見を支持してもらいたいから、今日はあの子ともっと仲良くしておこう。」などなどと深く考えているように感じています。スタッフとして日々生徒と接する中で、6才だろうが18才だろうが、50歳の大人と変わらないくらい、いやもしかしたらそれ以上に繊細にかんがえているのではないだろうか?と思わされる場面はたくさんあります。

発言する子=良い子 / 発言しない子=おとなしい子・臆病な子 などという、本当にたくさんの一方的な「判断」を捨てれば捨てるほど、その子の本質的な良さが生きてくる…と、私は信じています。