話し合いの場

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朝の会の時間10時が過ぎてもゲームをしている男子たちが集まる気配がない。

女の子たちが「10時だで!」「待ってるんですけど!」など声をかけてもなかなか集まらない。

5分経過してゲームを置き、話し合いの場に集まる男子3人。

‛はなしたいこと’でさとちゃんが手を挙げる

「話し合いの場を大事に出来ないようならば、朝の会、帰りの会は話したい人だけでやるということにしたら良いと思う。きちんと聞いてくれていない、平気で人を待たせる、そんな話し合いの場は無くても良いと思う。」

と想いを伝える。

神妙に聞き入るメンバー達。

「朝の会・帰りの会を全員参加というルールをそのまま残すなら、もっとしっかりと話し合いに参加して欲しい。しっかりと話している人の声に耳を傾けて欲しいし、時間通りに集まってほしい。」

「それが出来ないなら、議題とかをあらかじめ提示しておいて、その議題について話し合いたい人だけが参加するという形でやっていったら良いと思う。」

というさとちゃんの提案に対して一人ひとりの意見を拾っていった。

「ルールを残すならそれをしっかりとやっていく。無くすなら無くしてもよい。」という男の子の意見が1つあったが

あとは

「なくしてもいい。」

という意見だった。

話し合いがしっかり出来ない時期に何度か上がっていた議題。

確かに子どもによってはあまり興味の無い議題が話し合われることもあったが、ルール上「全員参加」ということでみんなが集まって輪になっていた。

ついにこの日話し合いも自由参加となった。

僕がアメリカで見たサドベリーバレースクールでも同様の形をとっていた。

規模は違えど、(向こうは170人くらいの全校生徒で、僕が出席した日のミーティングには60人くらいの子どもたちが参加していた。)同じ形になってこれからどう環境(子どもたち自身の意識)が変わっていくか楽しみである。

アメリカでは本当に厳粛な感じで議事が進行していて、参加している人みんながその場を大切にしていた。(その会場の外では小さな子どもたちは自由に活動している。)

「今後の話し合いの形をどのようにするか13時から話し合いたいので、参加する人は勉強部屋に来てください。」と呼びかけたところ、Iちゃんが参加。

結局スタッフ2人とIちゃんの3人で話し合った。

(不参加の子たちは、無関心な気持ちと、スタッフに任せておけば大丈夫という安心感から不参加だったのだろうと想像する。)

「朝の会はそれでもあった方が良いよね。」

「参加しない人も話し合われた内容がすぐに分かるように議事録はとって公開しようね。」

「ルール違反が起こらないように、お互いにチェックし合うシステムがあった方が良いよね。」

「全体に関わるような大きな話題は週に2回くらい定期的に会を持とうか。」

など話合った結果、毎日の朝の会は継続(自由参加)、週に2回のしんさ会(新田サドベリー会議)(自由参加)という形で今後の話し合いは行われていくことに変わった。

13時からの会には参加しなかったがそれぞれ大なり小なり変化については気にしている様で、変わったことの議事録を覗いていたり、さとちゃんに変わったことについて聞いていたり、さっそく、変わったことによって「掃除の時間を変えよう!」としんさ会での議題を提出するHくんがいたり・・・。

この場に主体的に関わろうと思えば、どんどん自分が思うように環境を整えていけるし、そこは人に委ねて自分の時間に没頭していく子も出てくるだろう。

何にしても今度の月曜日からがまた楽しみである。

この日の出来事を通じて、ホントに今の日本の社会も同じようなことが起きている。(日本のこの民主主義の形を規模はとても小さいながら似たような構造がここ新田サドベリースクールにもあるのだろうと思う。)

場(社会)に関心を持ち積極的に関わって行く人、ある程度気にしながらうまく社会と折り合いをつけて生きていく人、全く無関心でマイワールドで生きていく人。

形はどうであれ、それぞれが幸せに楽しく生きていく術を身につけていければ良いと思う。

民主主義の長所と短所

そんなところも日々感じながら生活していけたら良いな。

これで、かつての「話し合いなんだから、しっかりと聞こうよ。」「早く集まって。」「誰待ち?」なんて声は聞こえなくなるだろう。

みんなが必要と思うことをそれぞれの頭で考えて主体的に動いていく時間になっていく。

まだまだ少ないメンバーだから、普段から目と目を見て、コミュニケーションも取れるだろうから、みんなで様子を見合いながら経過を観察していきたい。

何にしても楽しみである。

スタッフも挑戦。

子どもたちも新しい環境での生活。自分の「楽しい毎日」を守っていくためにやらなくてはいけないことも出てくるだろう。主体的に関わって行って欲しい。