こんにちは
アメリカのサドベリーバレースクールへ行って「子どもにもプライバシーがあるから」と言うスタッフの言葉に、僕自身帰国してから保護者との関わりであったり、ブログとの向き合い方でその点少し難しさを感じていました。
(子どもが誰からの視線、評価を気にせずに居心地よく過ごせる場所という意味でしょうか。)
今日はスクールの子どもたちの様子というよりも、ここ最近のスクールの事をつらつらと書けたらなと思っています。
あまり喜ばしいことではないのですが、ここ最近新田サドベリースクールから離れていく子どもが散見されるようになりました。
「智頭小学校で学んでみたい」「他のデモクラティックスクールへ通おうと思っている」
土曜日クラスも
「他の習い事をしようと思って」「もう少し自分の時間を確保しようと思って」
離れていく子にとってはここ以上の魅力が外にあり、僕たちスタッフとしてはどうしたら子どもたちがより満足するような(ひいては保護者が満足するような)魅力的な場になるだろうと話合ってきました。
僕たちは新田サドベリースクールを始めるにあたって枠組みを作ってスタートしました。
「こんだけ農村でするのだから近くに農のある環境が良いんじゃないか。自分たちで生産したコメや野菜を台所に運んで、料理上手な給食スタッフに美味しい給食を作ってもらって毎日食べれたら良いんじゃないか。給食は希望制。」
「サドベリースクールって話合いを通じてみんなで学校を創っていくんだから、話し合いの場は大切にしよう。1日に2回話合いの場を設けて、全員出席で話し合いをしよう。」
「テレビゲームの刺激って強いよね。最初のうちはテレビゲームは禁止ということでスタートして、人数が増えて来たらゲームについてはみんなで考えよう。」
など、僕が考えるに3つほど大人の設けた枠組みがありました。
「サドベリースクール」と謳いサドベリーモデルでスクールを運営することは大事にしてきたつもりですが、最初に決めた3つほどの枠組みが知らず知らずのうちに子どもを大人を縛っていたのではないかと思いました。
みんなで考えて学校を創ったら良いよと思い行動しながらも、ちょっとした場面で「大人の顔色を窺い、許可を求めてくる」子どもたち。
純粋に「自分のしたいこと」を突き詰められる環境であっただろうか。
人数は小規模ながらも自分が安心して居心地の良い場所であってほしい。
まだまだ至らないところ課題はたくさんあるかと思いますが、一つ土台のところの「純粋に民主的に学校を運営していく」というところに焦点をあてて、気持ち新たにスタートしていこうとスタッフで話合いました。
毎日クラスの子どもたちには一昨日の朝の会でスタッフの気持ちを伝え、子どもたちは真剣にスタッフの言葉に耳を傾けてくれていました。まさに心で聴くといった感じでした。
Snくんが「僕はここ新田サドベリーが好き。友達もできたと思ってるし・・・」と言葉を発してくれて、彼の心の芯の部分から紡がれたその言葉は聞く人みんなにとって心地よく響いている感じでした。
Kzくんが「じゃあ、壁に貼ってあるルールの紙ををみんなで見直そう」と提案してくれ、みんなで今一度みんなの学校のルールを見直しました。
今ここから、今いるメンバーでまた改めて学校を創っていきます。
今を大切に
今の人を大切に
一瞬一瞬を大切に