突破していくちから

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本日、姫路セントラルパークへ遠足へ行ってきます。

およそ1か月前に1人の生徒が発起人で、スクール生徒全員で遠足へ行くという計画を立てました。

実際にかかる費用の事であったり、色々なことを検討、調整してこの計画は実現しました。

そこに、入学前の5日間の体験に来ている兄弟から「遠足にも一緒に行きたい」との発言がありました。当初の予定では5日間の体験と遠足とは重ならない予定でしたが、体験の予定が変更になり、5日間の体験のうちの4日目にあたる日が遠足の日と重なったのでした。

5日間の体験に来ている兄弟とは、別に土曜日クラスに通う女の子のお兄ちゃんからも「妹が行きたいと言っている。」との発言がありました。

それらの発言を受けて、一緒に遠足に行けるかどうかの話し合いが昨日急遽持たれる事になりました。

話し合いに参加したのは、スタッフ2人を除いては、「体験の子はこの遠足に参加することは遠慮してほしい。」と主張するグループと、「車の席に余裕はあるから、別に体験の子も参加しても良いと思う。」という意見を持った男の子と、当事者である体験に来ている兄弟と、土曜日クラスに妹が通うお兄ちゃんでした。

会はまず「遠足に行きたい」という当事者の想いを聞くところからスタートしました。

その後、それらの想いに対して、思うことをそれぞれ発表していきました。

「土曜日クラスの子は、平日いつでも遊びに来て良いという風になっているから、入場料とフリーパスのお金持ってきてもらえたら参加しても良いと思う。」(土曜日クラスメンバーの子はOK)

「体験の子は、まだお互いに十分に知り合えてないし、遠足に一緒に行くのは大丈夫かなって不安なところもある。」(体験の子には遠慮してもらいたい)

「仲間と一緒に楽しく遠足に行くという予定だったから、まだよく分からない体験の子が一緒に来るとなると気を遣う部分とかも出てくると思う。」(体験の子には遠慮してもらいたい)

「今まで、体験の子が遠足とかイベント事に参加したことはある?」

「事前に体験希望日時を聞いてから、その日に体験が出来るかどうか検討して返事するようにしているから、遠足とかイベントがある日はあらかじめ遠慮してもらうような事は過去にもあったと思う。」

「今回は急な予定変更だったから、こういう話し合いの場が持たれることにもなっているんだと思う。」

「僕は車の席に余裕はあるんだから、体験の子も一緒に来ても良いと思う。」(体験の子もOK)

などなど、ひとしきりそれぞれの想いを聞きあったところで、「じゃあ、どうしようか。」

という風になりました。

そこで、新田サドベリーのメンバーだったらば、「じゃあ、こういう風にしてみたら?」とかそこに現れてきた課題に対して打開策だったり、さらに自分の想いを伝えたり、反対意見の子が納得するような意見を言ったりと工夫が見られるものですが、体験の兄弟からは「遠足に行きたい」以上の言葉が出てきません。

4月から入学のYくんが「今、この場で体験の子にしてみたら、どのように発言していいのか分からないのかもしれない。」という体験の兄弟に寄り添う発言があったりとか

「姫路セントラルパークへ行きたいなら、家族とかで行くことも出来るんじゃない?」(体験の子は今回は遠慮してほしいグループの女の子の1人からの発言)

という意見に対しても兄弟からの反応は薄く

「遠足に行きたいっていうことは、家族と行きたいとかではなく、このサドベリーのメンバーで行きたいっていうことなのかな?」

と聞くと、力弱く頷く兄弟。

僕自身は、この話し合いはどういう決着を見せるのかな(内心では「遠慮してほしいグループ」の意見はありつつも、車の席に余裕もあるし、なんだかんだで一緒に遠足に行くことで落ち着くんじゃないかなと思っていました。)ととても興味を持って参加しました。

でも、話を聞いていると、意見として出てくるのは「遠慮してほしいな」という意見。それにたいしてのリアクションが無い状況。

僕は(心の中ではもっと兄弟に頑張って想いを主張してもらいたいなと思っていたので)、「別に○○ちゃんと○○くん(体験の兄弟)が嫌いだからこう言っているんじゃなくて、こうこうこういう理由で、遠慮してほしいなと言っている人たちがいる中で、じゃあ、これだったら参加出来る?とか想いを伝えたら良いんだと思うよ。みんなは2人の気持ちを聞くのを待っているよ。」と伝えてみたり、

「体験のタイミングが2,3日遅いか早いか、体験が遠足の前に済んで入学手続きが終わっていたらメンバーとして参加して良いということならば、この2、3日の違いってなんだろう?」

とか、一緒に行ける道を一緒に考え切り開こうと最初は思い発言していましたが、徐々に「あれ?本当にこの2人は一緒に遠足に行きたいのかな?僕が2人を遠足に一緒に連れていきたいと思っているだけかな?2人がそこまでの想いが無いのに、僕が体験の2人の子が遠足に行けるようにするのはどうなんだろう?」

とちょっと温度の差を途中から感じ始めてしまいました。

新田サドベリーで過ごしていると、「これをやりたい」「これはやりたくない」と自分の好き・嫌い、快・不快のところがはっきりしていて、例えば自分が「これがしたい」と思ったときにどのようにしたらそれが出来るかを考え実行していきます。

そこに難しさの程度は存在します。

やりたくてすぐに出来ることもあれば、やりたいけれどすぐには出来なくて、乗り越えなくてはいけない課題をいくつも乗り越えながらそれを実現するケースもありますし、これらの課題はちょっと割に合わないと判断して方向転換するケースもあります。

逆の「これは嫌だ」ということに関しても、しっかりと発言して環境を「改善」していく行為も多々見られます。

発信しないと変わりませんし(運よく自分が手をくださなくても変わることもありますが。)、発信の仕方も工夫が必要な時もあります。

この点に関しては大人のスタッフでもどうしたらいいんだろうと頭を悩ましたりしますので高度な事を小さいうちから共に体験しているんだと思います。

昨日の「体験の子が遠足に同行することについての話し合い」は顕著にその経験の差が出たように感じました。

切り開いていくのは自分自身です。

社会に出てどうしたら自分の「良い」人生を描いていけるかはほかの誰でもなく自分に委ねられているところです。

座して待っていたら誰かが自分にとっての「良い」人生を用意してくれて終生ハッピーなんてことは絶対にあり得ません。

それの訓練をこの年齢から積み重なているんだなと実感できる時間でした。

体験の兄弟にはちょっと「寂しい」「悲しい」「残念」な想いをさせてしまったかもしれません。

会の途中でも後でも「決して2人の事を嫌って言っているわけじゃないんだよ。」「メンバーになって一緒に楽しいことを今後していこうね。」「遠足は行けないかもしれないけれど、来週からも体験待っているからね。」と伝えたつもりですが、どれくらい2人の心に残っているかな。

もしかしたら「寂しい」「悲しい」「残念」というようなつらい想いしか残らなかったかもしれない。でもちょっとでもこの会の時間からそれ以外の何かを2人に感じてもらえたら、そうであって欲しいなと思います。

新田サドベリーに長く通う女の子の発言、4月から通い始めているけれどしっかりと自分の想いを口にし、かつ相手を傷つけないように配慮しながらの発言。相手の立場に立っての発言。

それぞれがそれぞれの想いを言ったり、聞いたり、体験の2人も上手に想いを言葉に乗せることが出来なかった体験、そんな時間から今回は体験の2人には遠足を遠慮してもらうということになりましたが、良い時間だったんじゃないかなと僕は参加していて思いました。

自分がどう思うかは自由で、その思いを表現するのも自由

日本国憲法で謳われているところの「思想信条の自由」「表現の自由」かと思いますが、しっかりとそれぞれの権利を尊重しながら日々あれたら良いなと思っています。

(文 長谷洋介)

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