昨年度の1月に吹き抜け部分に部屋を作った。
その部屋に近道でいけるようにと子どもたちに請われターザンロープを設置した。
そのターザンロープの場所は階段のところだったので、スリル満点で子どもたちも慎重にそのターザンロープと付き合っていた。
最初はそのロープを使うのに大人がサポートに入り、練習する子の姿もあった。
何度か大人に階段に立ってもらい、その状態でターザンロープを使い向こうの部屋へ移動する。
そうして自信を持って1人でもそのロープが使えるようになる。
そのロープを使うのには「免許」が必要ということになり、大人なり、免許を既に持っている子が「この子ならもう1人でも大丈夫」と免許を授与する。
そうして気を付けながらそれぞれが部屋へ移動するための手段として、もしくはなんとなくブラーンと遊びたくてそのロープと付き合っていた。
楽しそうにそのロープで遊ぶ姿を見るのを微笑ましく見守るのと同時に、子どもが何か失敗して階段を落ちるのではないかと心配もした。
新田サドベリーとは関係ないが、先日我が家で妻が階段の上段から下まで滑り落ちて胸椎を圧迫骨折するという大怪我をした。
そんなこともあって、僕はかねてより少し心配していたターザンロープの撤去であったり、階段の滑り止めの設置などをしんさ会(新田サドベリー会議:週に1度の全体ミーティング)にて提案した。
このしんさ会というものは、何か新しくルールを作ったり、既にあるルールを改訂したり、500円以上のものを買いたいとき、など全体に関わることを話し合い、全体の承認を得るという場である。
予め議題は張り出され、また口頭でも読み上げられるのだが、その議題に対して「お任せします」という子は参加しなくても良いことになっている。(自由参加である。)
それは実社会と同様、自分が積極的に関わっていきたいというものに人は参加し発言し新しいものを作ったり、既存のものを変えたりするが、そうでないものは人にお任せするといった具合である。
さて、子どもたちにとって興味の範疇でないものに関しては参加率の低いしんさ会であるが、このターザンロープの件に関しては、ほぼ全ての子どもたちが参加した。(まずこのターザンロープに対する関心の高さに驚いた。)
数ある議題の中でターザンロープの話題になると、僕はそのターザンロープの潜在的危険性を伝え、撤去したいと訴えた。
すると「はい」「はい」といくつも子どもたちの手が挙がり、(発言の前は挙手し、司会にあてられた人だけが発言することになっている。)司会にあてられた子が順々にその子の意見を表明していく。
「十分に気を付けて使うからどうか撤去しないでほしい。」
「棟木に結んでいるロープの摩耗が気になるのであれば、タオルなどを何重にも巻いて摩耗を防げばいい。」
「定期点検をするなどして、ロープが切れないように気を付けたらいい。」
「今結んでいるロープよりも丈夫なロープが手に入ったらそれに取り替えたらいい。」
「自分なら大丈夫だと自信を持って利用しているのだから、それでもし失敗して落ちることがあっても自分で納得出来ると思う。」
などそれぞれが抱くターザンロープへの思いを熱く訴えてくる。
一部(1人)
「洋ちゃんが言うように、階段にそのロープがあるのは危ないと思うから外の木の枝など、もう少し安全と思われるところに移設しても良いと思う。」との意見も上がったが、多勢に無勢という感じで結局、
・ロープの定期点検を行う。
・新しいより丈夫なロープが手に入ったら取り替える
・それぞれが気を付けて使用する
という風に話し合って決まった。
撤去の提案した僕も、多くの子どもたちのそのロープに対する思いが伝わってきたし、子どもたちも僕が言う潜在的危険をしっかりと意識した上で慎重に使っているという風なことが伝わってきたので、上記のような決定に納得することになった。
ただ、その話し合いのあった2週間後の土曜日、1人の子どもがロープを使用しているときに手がロープから離れて階段から落ちるということがあった。(幸いたんこぶなどの小さな怪我で済んだ。)
休みを挟んで本日(火曜日)、臨時のしんさ会(普段は金曜日だが、提案者が希望すれば臨時のしんさ会を開催する事が出来る。)にて再度僕のほうから「ターザンロープの移動」を提案させてもらったら、1人子どもが落ちたこと、僕が再度議案を提出させてもらったこと、などで今回はあっさりと「ターザンロープを取り外すこと。また希望があればもっと安全な場所に設置すること。」が議決された。
アメリカのサドベリーを2年程前視察させてもらったときも、安全に関する細かいルールが色々とあったり、それぞれが気持ちよく過ごすためのルールが色々あって、それらのルールを子どもたち自身でお互いがお互いのことを見合いながら運用していっている様が伺えた。
歴史の中で、どうすればそれぞれが安心安全に過ごせるのか、どうすればより豊かに過ごせるのか色々議論を重ね、それらにそれぞれが納得しながらみんなでそのルールのもと生活している。
大人も子どもも区別なく同じルールで生活しているのでそこに不平等感はない。「大人だけずるい」であったり「大人がえらそうに指示命令する」といったことも一切ない。同じルールでみんながやっているのでもし大人がルールを犯せば、子どもでもそれを指摘し、そのルールを破った人に一定のペナルティが与えられるといった具合だ。
何はともあれ、誰しも怪我したいと思う人はいないし、出来るだけ安心感の中で日々生活したいと願っているはずである。そういった環境をメンバー全員でこれからも構築していく。