なぜ、サドベリースクールに通うのか?

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前回のブログで洋ちゃんが「場」の力について書いていましたが、私も年度の切り替わりにあたり「場」というものについてあらためて考え続けています。
「サドベリースクールに通った子どもは、何か特別な才能を伸ばすようになるんでしょうか。
あるいは
「サドベリースクールでは、子どもの特別な才能が引き出されるんでしょうね。」
というようなご期待を、お問合せくださった方などとのやり取りの中で感じることがあります。
しかしこれは、
「慶〇大学に入ったんですもの、明るい未来が保証されていますね。」
「一流企業にお務めだなんて、お幸せな人生ですね。」
というのと同じように、思い込みの一つに過ぎないのではないでしょうか。
実際に世の中を見渡してみれば、一流と呼ばれる大学を卒業しても犯罪者となる人がいたり、学校の成績は振るわなかったのに大事業を成し遂げる人がいたりします。
現在芸能・スポーツ・ビジネスなどの分野で活躍をしている方々の多くは、普通に公立の小中学校を卒業された方が多く、サドベリースクールなどの特殊な学校に通った方は少数なのではないかと想像します。
そのように考えれば、ある子どもの才能を特別に伸ばしたいと思ったら、その子が公立の学校に通っていようと、サドベリースクールに通っていようと、ホームスクーリングをしていようと、アプローチの仕方は一緒なのではないでしょうか。
つまり、例えば保護者や子ども本人が小学校の担任に
「この子(わたし)はダンスの才能があるようだから、なんとか才能を伸ばしもらえませんか。」
と伝えたとして、小学校としてはその子のために特別授業をするのは難しいでしょう
あるいは子どもが所属するサッカー部のコーチに、保護者や本人が
「うちの子(わたし)、プロを目指しているので特別に目をかけてもらえませんか?」
と伝えたとして、サッカー部という組織としてその子だけを特別に扱うことは難しいでしょう。
つまり、何かを成し遂げた人々に共通するのは、
●まず本人の「こうなりたい」という強い意志
●それを応援する家族や周囲のサポート
であって、それはきっと「公立の学校に通っていたらできない」というものではないと思うのです。
ですから、公立の小中学校に通おうと、サドベリースクールに通おうと、本人の強い意志や努力と周囲のサポートがあればその子はぐんと才能を伸ばしていくでしょう。
逆に、公立の小中学校に通おうと、サドベリースクールに通おうと、本人に強い意志や努力する気持ちがなかったら、その子は長い間自分の持つ才能を伸ばせずに過ごすことになるかもしれません。
極端な表現をしましたが、公立の小中学校でもサドベリースクールでも、目標を決めて努力する生徒のためにできる限りのサポートは提供されるはずです。しかしその子の夢や目標の内容によっては、「組織」としてできるサポートにはきっと限界があるでしょう。やはり、「こうなりたい」と決めた本人が、その目標を達成するための道筋を家族や周囲の人々と相談しつつ、そこに近づくために必要な場所や機会を選んで努力していく必要があるのではないでしょうか。
では、公立校ではなくサドベリースクールになぜ通うのか?
サドベリースクールでは、生徒にどんな力が身につくことを期待しているのか?
スタッフとして、また子どもをサドベリースクールに通わせる一保護者として、子どもがサドベリースクールに通うことで身につく力とは、
●自分自身の力で問題を解決する能力
●自分自身のスケジュールや感情をコントロールする能力
●深く自分の気持ちを内省する能力
●他者の存在や感情を尊重しつつコミュニケーションする能力
●年齢や性別や立場にとらわれずに人間関係を築く能力
●自分の存在を肯定的にとらえる能力
などではないかと思っています。
これらの力は、「異年齢ですごす」「カリキュラムを提供されない」「評価されない」「運営に参加できる」「先生はいない」「スケジュールは自由」という環境で日々過ごす中で、少しずつ少しずつ子どもの内面に育つもので、頼りなかった若木が数年かけてしっかりと地に根を張って存在を主張してゆく姿に似ているようにも思います。
箇条書きに挙げたような能力をしっかりと身に付けたら、きっとその先の人生は何事も自分で決めて、どんな課題がやってきても上手に周りとコミュニケーションしながら乗り越えて肯定的に生きていくはず。サドベリースクールとは、シンプルにそんな力を育み続ける場所なのだと思っています。
「◯◯会社」「◯◯病院」「◯◯小学校」と同じく、「新田サドベリースクール」もひとつの「場」でしかありません。その中でどう過ごすかは、本人次第。
しかし、現在の日本の教育システム中ではなかなか体験することのできない
「異年齢ですごす」「カリキュラムを提供されない」「スケジュールは自由」「評価されない」「運営に参加できる」「先生はいない」
という居場所で人生の基礎を作る子ども時代を過ごすことに価値を感じる方々にとっては、サドベリースクールは最高の居場所だと思っています。
by スタッフ さとちゃん