一歩

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「一歩を踏み出すか踏み出さないかというのは大きな違いで、新田サドベリースクールは一歩を踏み出す場所としてはとても効果的な場所になっていると思う。」

といった様なことを言ってくれた人がいた。

その人は「自分はたくさん勉強して選択肢を増やしていく作業を一生懸命してきたけれど、いざたくさんある選択肢の中からこれ!と選び取る力が欠けていると思う。最近その事に気付いて今一生懸命自分がこの人生でやりたいと思えることについて考えている。」と言っておられた。

同時に「特に勉強とか得意で無いような人でも、上手に人生の選択を行い、幸せに暮らしている人はいっぱいいる。」

とも。

確かに、一歩を踏み出すといった瞬間は自分の経験を振り返ってみても、とても勇気のいる行為ではあるかもしれないが、それを踏み出してからは色々な冒険を伴いながらも、たくさんの世界が開けていき、自ずと何かに導かれるように人生が拓いていくというようなことが起こっていくようにも感じる。

そこにサドベリースクールの環境特有の「ひま」というのが大きく寄与することもあるのだろう。

兎角大人は子どもたちに対して「何かしていて欲しい。目に見える成果を求めたい。何か成長と捉えられるような(数字で評価出来るようなものが好まれる)ものを目の当たりにしたい。」というような欲があるのかもしれない。

ただ、そこを過度に求めることなく、子ども自身がじっくり自分と向き合い、考える時間を持つことによって自分なりの一歩を踏み出していくという経験を積み重ねていくというのは、何かとても大事なことのようにも感じる。

振り返ってみたら「ひまな時間」ってとても貴重で、「ひまだなぁー。何しよー。」という先に何か自分自身を喜ばせるヒントが眠っているのかもしれない。

この前の土曜日は鳥取で集いに参加してきました。

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その中で40年前から鳥取の地で「公教育では出来ない学びの場を提供していこう!」と私塾から始まり、広域通信制高校、中高一貫校、そしてこの度は幼稚園、と奮闘されている学校法人鶏鳴学園の理事長の横井さんの話も印象的で

「ここまでICTが進化している現在において学び、学力の部分はなんとでもなる!」という言葉もとても心に響きました。

40年の実践の経験からくる言葉にはとても勇気をもらうことが多かったです。

一概に「こうしていたら大丈夫!」というような子育てのマニュアルなど存在せず、そしてそれはますますそのような傾向を強めており、その中で、自分自身が「好き」と思えるようなことをしっかりと認識し、自分が持ち合わせている人生の有限の時間を楽しく味わいながら生きていく力を根底に携えながら日々を暮らしていくということを僕自身も目指していいきたいと思っていますし、そんな風な子ども、そして大人が増えていったら良いなとも思っています。

一歩を踏み出す場

っていう言葉はその時の土曜日にもらった言葉の1つですが、良い言葉をもらったなと思っています。

一歩を踏み出して新田サドベリースクールに来た子どもたちもいれば、

一歩を踏み出して新田サドベリースクールを巣立っていった子どもたちもいます

自分で一歩を踏み出す経験っていうのが尊いのだと思います。

自分の備忘録的な投稿になってしまったかもしれません。

今日もKくんが「何をしたら良いかなぁ」とおもむろに呟いていました。

「それは今日の話?それとも人生の話?」と尋ねると、「どちらかと言えば後者かな?」との答え。

Kくんと前述の様なお話を一緒にしました。

そんな話をKくんと少しでも出来て嬉しい気持ちになりました。

ここで何かが見つかるかもしれないし、ここじゃないどこかに出会いがあるかもしれない。

臆せずに、貪欲に、その子のペースでのチャレンジをこれからも見守っていきたいなと思っています。

文:スタッフ 長谷洋介