立春も過ぎてなんとなく春の気配を感じる日が増えてきたように思います。
先月降った大雪は山の木々を倒し、それが電線に引っかかったりして地域によっては停電になったり、復旧作業に伴い計画停電があったりと雪の影響が残る中、それでもあれだけ高く降り積もった雪も徐々にその背が低くなってきています。
ちょっと前にスタッフの太郎さんが日本で一番辺鄙(へんぴ)なところにある奇跡のデモクラティックスクールと新田サドベリースクールのことを表現していましたが、改めて窓から見える景色に「とてものどかだなぁ」と思います。
僕は全部の日本国内のデモクラティックスクールやサドベリースクールを把握している訳ではありませんが、それでも確かにとても人の少ない地域に存在するスクールだなぁとは感じています。
人口密度はとても疎で、アクセスもとても悪いですが、そのぶんのびのびとしていたり、空気や水が美味しかったり、スペースに余裕があるので、都市特有の周りを神経質に気を遣ったりというようなことは希薄です。
室内でまったりゲームをしたりおしゃべりしたりという時間もありますが、ふとした時に、外で雪遊びに出かけたりもあります。
屋根に登って滑り降りたり、雪合戦をしたり、かまくらや基地を作ったり・・・
素材はたくさんあるので、ちょっとしたかまくらもすぐに出来ます。
Rちゃんがふと「かまくら作りたい。」との発言からささっとかまくら作りがスタートしました。
ふんだんに雪があるので惜しげなく使えますね。
そり遊びも急斜面を猛スピードで滑り降りるというのが流行っています。毎年恒例のコースです。
ある日は保護者さんにスノボーとスキーが合体したような道具を借りて遊びました。
すぐ近く(歩いて30秒くらい)でこのような環境で遊べるのは贅沢とも言えるのかもしれません。
「このままいったら20年後には村がなくなってしまう」という危機感から村全体がNPOという全国初の試みのNPOが始動したのが約20年前。この地で新田サドベリースクールが産声を上げたのが9年前。
当時NPOを立ち上げた中核のメンバーは高齢化でおじいちゃんおばあちゃんに。中には亡くなられた人も。
それでもそんなNPOの理念に共感して、この地に縁が生まれていった人たちもいたり、スクールを目指して県外から村に移住してきた家族があったり、町内に移住して通ってきてくれている家族があったり。
田んぼは年々耕作されなくなってきましたが、そんな耕作放棄地の活用について考えながら耕作を始めるスクールの元保護者さんもいます。
この10年間でだいぶ様子も変わってきました。
20年経って村がなくなってしまうというような危機感とはまだ隣り合わせかもしれません。
余白があるからこそ生まれてくる創造力もあるでしょう。
余白があるからこそ自分の存在意義も感じやすくもあるでしょう。
都会には少ない余白がここにはふんだんにありますが、実際にここで生きていくことは時に厳しさもあります。
人が生きていく上で色々なバランスがあるでしょうが、この様な環境で生きていくのがあっている人もいるでしょう。
僕自身もそうです。
のどかな環境で、人の温かみを感じながら、自然の存在も感じながら日々あれることに心地良さを感じます。
子どもたちとパン屋さんにお買い物に行くと、子ども達の足跡と、鹿の足跡が交差したりします。
人間と同じように、同じ土地で野生動物も生きています。
そんな事を感じながら過ごす日々です。
文:スタッフ 長谷洋介