みなさま
新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
長い冬休みが終わり、火曜日からまたサドベリーが再開しました。
始まって最初の「朝の会」は「冬休みどんな風に過ごしたかな?」という話でスタートしました。
「食べて、寝て、食べて、寝て、食べて、寝て・・・。」と正月らしい過ごし方を披露してくれたMmちゃん。
「大阪の伊丹に行って来たぁ」ととても嬉しそうに発表したHmくん。
「お父さんの所に行って来たぁ。」と普段離れて暮らすお父さんと時間を過ごしたSrちゃんとSmくん。
「ゲーム三昧。」と誇らしげに披露するHtくんとそれに目配せをするSnくんとKtくん。
Nrちゃんは日記を年末からつけ始めたことを発表してくれて、年末年始の様子を日記を追いながら発表してくれました。
などなど、それぞれの言葉で冬休みの様子を伝えてくれました。
我が家は冬休み入ってすぐから娘が入院、一度退院するもまた年明けから入院と病院生活が続いていますが、それでも大みそかに親戚が大集合出来て良い時間を過ごせたなぁと思います。
色々と考えることの多かった冬休みで、早く始まってくれんかなぁとウズウズしたりもしていましたが、始まったら子どもたちがみな良い顔して新田に上がってきてくれたのでとても嬉しい気持ちになりました。
多方面から本の寄贈があり、段々と本棚のスペースが足り苦しくなってきました。
新しく棚を作らないと・・・
本を読んだり
ひろちゃんと相撲を取ったり
優しい顔してひろちゃんめっちゃ強い。柔道黒帯。
Htくん、Snくん、Mpくんは基地を移設すると、昨日もとあった基地を解体しました。
僕も一緒に解体作業をしました。
「作るときは時間かかったよねぇ。どれくらいかかったっけ?」と解体しながらその時のことを思い出すHtくん。
「でも、解体するときは早いねぇ。」と。
結局1日で全部解体してしまいました。
基本廃材で立てた基地。でもまた材料を再利用するからと、ビスを丁寧に外していってました。
「接着剤とか、樹脂とか、新建材とか今の家は解体したら廃棄物として処理してしまうけれど、昔の家はキレイに解体したら移築とか出来るし、自然に還る素材だからいいよねぇ。」と、今日体験に来ていたゆうちゃんが語ると、「そうだよなぁ。」と一層Htくんの解体する作業も丁寧になりました。
去年度からずーっと、「基地」をテーマに取り組んでいるHtくん。驚く程に基地のクォリティは上がり、そして作業もスムーズになってきています。
1日で解体してしまう集中力もすごいし、昨日のうちに新しい基地に既に取りかかっていました。
突き詰めて、深めていくこと。
それが出来るというのがサドベリーの特徴の1つだと思っています。
去年度からずっとHtくんを見ていて、そういったことを感じさせてくれます。
例えば僕のような「大人」がHtくんが基地作りに熱中しているからと、「好意」で図面を引いたり、材料を用意して、こうやってやったら良いんだよ、などと「指導」したとして、それは形としては「良いもの」が出来るかもしれないが、自分でやっているという主体的な感じは育まれないだろうし、そこに依存してしまって自ら探究する心というのも育まれにくいのではないだろうかと思っている。
たまたまテレビで長野の方の木工会社の様子が放映されていた。
「うちではまず自分でやりたいようにやらせている。そしてここを教えて欲しいと来た時だけ教えるようにしている。」
と親方が言っていた。
とても感覚が似ているんだろうなと思った。
言われてやることは面白くない。
でも同じ作業でも自分が興味を持ってやり始めるとめちゃくちゃ面白い。
過去にも僕は基地に取り組むHtくんに「ようちゃんは何も言わないで良いから。」とクギを刺されたことがある。
過不足のない関わり。
サドベリーで子どもたちと関わっていてここが肝になるところで、一番難しいところなんだと今はそう思っている。
昨日の解体作業はそれでも一緒に気持ちよく作業できたと思っている。
ホントに難しい。
昨日はMpくんかねてよりのリクエストであったドラえもんの人生ゲームをさえちゃんが持ってきてくれて、大いに盛り上がった。
ドラえもん大好きなMpくんとHmくんはもうホントメロメロな感じ。
昨日は午前中に1回、午後に1回人生ゲームで盛り上がったんじゃないだろうか。
その他にも、さとちゃんが午前中と、午後に毛糸を使った手芸を子どもたちとしていたり、みんなで「キティゲーム」で盛り上がったり、女の子がこたつで一緒に絵を描いていたり。
あっちで、こっちで子どもたちの良い笑顔が溢れていて、大人たちもみんな良い顔しているように僕には見えてとても幸せな気持ちだった。
「小学校に通わずに遊んでばかりで良いのか。」
「勉強の方は大丈夫か。」
などなど遠くから、近くからそんな声が聞こえてくる。
ブログでも何度も書いているが、僕たちは公立の学校を否定するものではない。
でも、サドベリーみたいな場があっても良いはずだと切に想い活動している。
色々な声が聞こえてきて、考え、悩むことも多々あった冬休みだったが、子どもたちの顔を見て、そして流れる時間に一緒に身を置いてやっぱりこれで良いんだと安心した。
ここで吉田松陰を引用するのはたいそうな気もするが、幕末鎖国中の日本で、松陰は黒船に乗って渡米を目指すが失敗して投獄された。
「鎖国という制度はたかだか200年くらいの日本の常識であって、これからは絶対に国を開いて外国と交流していかなくては日本国は滅びる。」
みたいなことを言っていたように思う。
新しい取り組みに対して、時に反発もあるが、それでも「学び」とは何かや、「いかに生きていくか。」という本質的なところを見ていった時に、サドベリーの様な場は決してズレていないような気がするが、どうだろうか。