来年度のスタッフ

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新田サドベリースクールではすべての事をオープンな場で話し合い、決定しています。

日々、必要な消耗品や備品から、遠足の計画から、自分たちのスクールの予算から、全てです。

特定の誰かが、勝手に決めてしまって、それに従うという様な点は一切ありません。

日々、自分たちと関わるスタッフについても、随時募集し、1年に1回立候補者のなかから、投票によって自分たちと来年度スクールで関わってくれるスタッフを決めます。(今のところそのようなスタイルでやっています。)

今回は3人の立候補者がありました。

現スタッフ2人に加えて、新田サドベリースクールに1年半通学経験のあるYちゃんが、大阪から立候補してくれました。

先日も1日スクールで過ごしてくれて、選挙期間中も1日とプレゼンの日に1日、ここ最近で3日間スクールで時間を過ごしてくれました。

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18歳になったYちゃん。

生徒達からみたら、少し先を歩く人生の先輩。

先週の金曜日に、立候補に際しての想いみたいなのをプレゼンする機会がありました。

プレゼンの中で、「私はこの新田サドベリースクールを知って、通う事が出来て救われた。」とも言ってくれて、そんな言葉を聞いて逆に救われた気持ちになる僕もいました。

Yちゃんが手元に用意していたメモがあり、特別に許可をもらって、ここに転載させてもれえることになりました。

IMG_5883当時14歳~15歳だったYちゃんが、こうして新田サドベリースクールのスタッフという仕事に興味を持って、再び来校してくれていることに感慨深いものを感じています。

小学校の時から学校にだんだん通わなくなったYちゃん

新田サドベリースクールに来たのは、中学校2~3年のとき。

スクールに通っているときは、「勉強部屋」にこもって、よく英語の勉強をしていたり、絵を描いていたりしたのを昨日の事の様に思い出しました。

昨日現スタッフ2人のプレゼンも終わり、今日から3日間投票日となっています。

前置きが長くなりましたが、以下メモの一部を転載させてもらいます。

文:スタッフ 長谷洋介

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そもそもわたしは小学校は4年生くらいから不登校になって、中学校は半分行ってなくて、高校はそもそも入学もしなかった
「学校に行かなくちゃいけないけど、行かなくちゃいけないからって行ってたら、わたしはわたしじゃなくなる気がする、それは何か違うんじゃないか?」みたいなことを思って段々行かないようになった
今は18歳、春から大学生の年齢なんだけど、
学校に行くとか行かないとか、じゃあこの先どうする何をするどう生きる、とか色んな人と関わって話をしていく中で、
「学校には行かなくちゃいけない」
「働かなくちゃいけない」
「決められた道を歩かなくちゃいけない」
でもそれがつらい、つらいけど当たり前の事だからどうしようもない、しんどいけど毎日何となく生きのびていくしかない、だから自分が好きなことも分からなくなってしまった、って言う同じくらいの歳の子を本当に沢山見てきた、出会ってきた
わたしはたまたまサドベリーを知れて関わらせてもらうことができたけど、だからといって他の似たように辛い思いをしてる人たちに「こういう場もあるんだよ」って教える以外に直接何か出来る訳ではなかったから、それに悔しさというか無力さみたいなものを感じていた
でも今その頃よりは少し大きくなって、できることも少し増えたから、学校には行かずにサドベリーに通ったり一人で色んなことをして自由に生きてきた身だからこそ、その経験を活かして力になれることがあるんじゃないかなと思って今回スタッフ希望させてもらった
わたしはまだようちゃんやまさちゃんほど大人ではないけど、スクールにいるみんなよりはいくらか年上なので、極端な言い方をすれば、子どもでも大人でもないと思う
だからこそ学校に行かない選択をしてきた「子ども」としての立場にもなれるし、
色んな経験をした「大人」としての立場でも関わっていけるんじゃないか、
橋渡し役ではないけど、
「どちらでもない」けど「どちらにもなれる」、
そんな中立というか中間的な存在として力になれたらいいな、と思っています
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