「自ら問いを立て、解を導き、それがあっているか検証する。」
人生を主体的に生きる人の特徴の1つの様に感じます。
昨日はノーメディアデーでした。
Kkくんは朝からせっせと「半径1の円に内接する正n角形の1辺の長さ」について考察を重ねていました。
ちょっと前から取り組んでいるこの自ら立てた問い。
ちょっと聞くと、今のところ「nが3.4.5.6.8.10.12.15.16.17.20.24.30については答えは出た。」とのこと。
また「nが2のn乗のとき、3×2のn乗のときについては答えに法則性があって・・・。」と法則についても教えてくれました。
この問いに対する解答の仕方はいくつかある様で、Kkくんは三角関数を駆使しながら、(僕はKkくんの話を聞きながら、加法定理とか2倍角の公式とか久しぶりに数Ⅱ・Ⅲの教科書を開きながら復習しました。)3次方程式の解の公式なども使いながら解いていっている様でした。
3次方程式の解の公式は長すぎて教科書には載っていないですが、高校の先生がチラッと余談で話したようなしてないような、そんな僕の記憶です。
「三次方程式は因数分解して解く問題ばかりやっていたわ。」と言うと、Kkくんは「でも綺麗に因数分解できることの方が現実には少なくて、解けない問題が多いんだよね。」とのこと。
「試験に出るから」とか「受験に必要だから」とお付き合いで数学と向き合っていた僕とは基本的なスタンスが異なるようです。
数字と嬉々として向き合うKkくんの姿はなんだか観ていて神々しいです。
彼のノートは鉛筆で書かれた文字や数字がびっしり。
昨日は午前中はKkくんを除くみんなが体育館へ行って遊んだので、Kkくんはゆっくりと思考を巡すことが出来たかもしれません。
コロナの影響でしばらく閉館中だった体育館。町内の人限定で今週から再開しました。
メンバーのみんなも久しぶりの体育館を満喫しました。
最近流行っている氷オニ。
ついて早々「氷オニしよー!」とAちゃん。
「やるやる!」と全員が寄ってきて、1時間くらいオニの組み合わせを変えながら氷オニを楽しみました。
いつものフィールドと異なる場所での氷オニは逃げる思考、追いかける思考も変わってなんだか新鮮な感じでした。
「次誰オニする?」会議。最近はHくんTjくんあたりがリーダーシップを取って決めるオニですが、彼ら2人が所用の為不在だったので、いつもと違ったメンバーで話し合っていました。この鬼決めが意外と大事で、どんな組み合わせだと楽しいか、鬼をしたい・したくない含めて、色々と話し合います。
色々な意見が出て来たり、自分の考えを文章化して相手に伝えたり、相手の気持ちや考えに耳を傾けたり。
普段の遊びの中にもふんだんにこのような話し合いの場はあります。
一通り鬼ごっこを満喫したあとは、マット運動、大繩、バスケットボールなど遊びが移ろいだり、分散していきました。
AちゃんとIちゃんが一緒に取り組んでいた側転や逆立ちを観ていたKyちゃんが自分もマットを持って来て挑戦していました。
年長2人が苦戦していた技(逆立ちからのブリッジからのもとの状態に戻る。)を横で観察しながら挑戦しては、出来るようになったKyちゃん。
周りのみんなも集まってきて、Kyちゃんのその技を観ては「すごーい!」と歓声が上がっていました。
Kyちゃんも自分の挑戦が周りから評価されて嬉しそうでした。
人数がたくさんいて色々な活動に触れると刺激もたくさんで良いなと思います。
大繩をしていたら、そのうちに綱引きになったり、綱を持って誰かに引っ張ってもらう遊びに発展したり。
あっという間に時間は過ぎて片付け・掃除の時間になりました。
モップ掛けも一列に並んでみんなで協力して行っていました。
智頭小学校に籍のある子たちは、保護者さん引率のもと、智頭小学校に行き、内科検診を受けてきました。
ロッジに残った生徒は2名。しばし静かな時間が流れていました。
2時頃賑やかに帰ってきたなーと思ったら、すかさず「氷オニしよー!」とまた今度は外で氷オニがスタート。
先週、アグリコラをして楽しかったTgくん。来週の木曜日にまたしよう!と心に決めていたようでしたが、体育館&内科検診でアグリコラの時間は取れませんでした。
「また来週の木曜日する?」って尋ねると「明日しようかな」と言っていました。
それぞれでそれぞれの時間割を構築しながら、自分の心のワクワクに正直に時間を過ごしているように感じます。
スクールではそのように「あるがままの自分が認められ」「自分の好きなように時間を過ごすことが認められる」環境ですが、ひとたび外の世界に出ると「〇年生だからこれくらい読み書き計算できるよね?」とか「中学校はどうするの?」「高校は?」「大人になったらどうするの?」といった声に接する機会は多いかと思います。
そんな声とどう折り合いをつけながらスクールに通うのか。
その辺りがスクールに通う生徒や保護者にとって悩みの1つとなる事はままあるように思います。
不登校を経験した唯ちゃんにその辺りを聞いてみると「〇年生だったらこれくらい出来るよね。」とか「何歳だったらこれを出来るようになっていなくてはいけない、と決められたことを出来るようになる為の活動をしていたらそれだけで一定の時間を割かなくてはいけなくなり、自分の時間が無いように感じるのが少し苦しかったように思います。」とのこと。
確かに学校で教わるような知識などは大事だったりすると思うが、大人に当てはめて考えてみると、例えば37歳でやることが決められていたら、「他にもやりたいことたくさんあるんですけどー!」となりそう。
社会がもっと柔軟に子どもの学びとか育ちとかを捉えることが出来たら楽になる子ども達はたくさんいると思う。
子どもが大人になっていくにあたって本当に必要なものは何か
社会で簡単に答えは出せないかもしれませんが、僕たちは僕たちで出来ることを粛々と続けていきたいなと思います。
そこに価値を感じ、利用してくれる子ども達がいる限り
文:スタッフ 長谷洋介