何にでも型というものがあるかと思う。
馬に乗りたいと思ったときに、馬のお世話があって、コミュニケーションがあって、馬具をつけたり、乗ろうと思ったときにやらないといけないこと(やったほうが良いこと)ってたくさんある。
お茶も、書道も、音楽も、数学も
何も何も
その分野を深めて行こうと思ったときに「まず型にはまれ」と誰だかが言っていた。
ある程度精通した中で、自分なりの問いを立てて改善を図っていく。
最初から好き勝手やっても出来るのだろうけれど、ある程度深めて行こうと思ったときは先人たちの知恵や経験や歴史に学ぶことが必要になってくるのかもしれない。
4月からずーっと継続している氷オニを昨日も有志で遊ぶ姿があった。
昨日はなんだかかつてのような盛り上がりを感じることが少なかったのか、全体として場がなんとなく温まらない。Aちゃんが「なんだか氷オニも飽きてきたな。」と呟いた。
やりきってきた後に見えてくる景色。
その時に何を見るか、そして行動するか。
きっとゲームもそう。
「なんだか飽きてきたな。」
その時にどんな景色を見て、行動するか。
自分にとってなかなか飽きがこないものとの出会い。どんどん深化させていくことに喜びを感じるものとの出会い。
「何が一番好き?」
「サドベリーで何している時間が楽しい?」
たまに子ども達とそんなおしゃべりをする。
「○○!」と元気よく答えてくる子もいれば、自信なさげに首を傾げる子もいる。
自由なこの空間と時間にどんな時間を過ごしていくか。
どんな時間の過ごし方をしているときに自分は居心地が良いか。
ダイレクトに突きつけられるようなこの環境は良い修練の場のように思う。
答えの決まっている問いを答える力もある程度必要だろうが、それ以上に自ら問いを立てて答えの無い問いに向き合い続ける力もこれから大人になっていく上で必要だろう。
自ら週に2日メディア(ゲーム)断ちしているKkくん。「発芽率が思ったより低いんだよな。」とプランターに追加で大豆を播種していく。「種子の保存がいけなかったのかなぁ。」と自家採取したタネに注意を向ける。
人生はなかなか思い通りにいかないことが多い。
新田のおじいさんと話していても「田んぼにシカが入っていけん。柵をしてもしても乗り越えてくる。もう打つ手なしじゃ。」と昨日嘆いていた。
自分の取り組みたいと思う事をするにあたって直面する課題を乗り越えて行く。
どの道を歩んでいくか。
小さいころからそんな繰り返しをしていくことはスムーズに社会に移行していくのには有効なことだと思う。
最近ちょっと流行の音楽ゲームアプリDeemo。
ちょっとした息抜きにプレイしては得点を競いあったり、自分の上達ぶりに達成感を感じたり。
壁紙・グラフィックが美しい。
誰かと遊ぼうと思ったら、相手も楽しいと思わないと楽しく遊べない。
自分だけが楽しくて相手が楽しくなかったら結局自分も楽しくない。
「自由の相互承認」
負けず嫌いな子、競争が苦手な子、手先が器用な子、他を巻き込むのが上手い子、自分の感情をコントロールするのが難しい子、優しい子、静かな環境が好きな子
色々な人がいる中で関わり合い続けていくこと。
沢山の学びが散りばめられていて、ついつい大人は子どもの行動に意味付けをしたくなってしまいますが、大人の意味付けは時に邪魔なのかもしれません。
教科学習とはまた違う学びがたくさんあります。
(多くの大人が納得しやすい教科学習に取り組む子もいます。)
文:スタッフ 長谷洋介