こんにちは。さとちゃんです。
突然ですがみなさん、『ユダヤ人大富豪の教え』などでおなじみのベストセラー作家、本田健さんのお子様が、サドベリースクールに通っていたことはご存知ですか?
本田健さんは、サドベリースクールとの関わりから感じたエッセンスを、時々講演会を開催して伝えてくださっていました。
私は2010年頃に開催された本田さんの講演会に参加したことがあるのですが、その際、
「サドベリースクールに子どもを通わせるということは、ハイリスクな上にノーリターンかもしれませんよ。それでもいい、と腹をくくれる方でないと、親子ともに辛くなるかもしれません。」
というようなことを仰っていました。
私も常々、現代の子ども達は、社会からも家庭からも、何らかの「リターン」それも「早期のリターン」を返すことを求められすぎているのではないだろうか?と感じています。
はっきりと言葉で伝えていないとしても、
「こんなに教えているんだから、早くきちんとできるようになってちょうだい。」
「あんなにお金をかけたんだから、立派な結果を見せてほしい。」
「これだけのことをしてあげたんだから、道から外れるようなことはしないでね。」
などの雰囲気を、子ども達は感じながら過ごしているのではないかと気になってしまいます。
子育てに必要なのは、例えばどんなにだらしなくていたずらずきな子どもが目の前にいたとしても、
「まあ、大人になってまでこんなことはしていないだろう。」
「20年後、この子がどんな大物になっているのか、楽しみだなぁ!」
というような、社会や大人のゆったりとした「待ち」や「長い目で見た期待」の姿勢ではないかと思うのです。
その子が成功しようと失敗しようと、結局はその子の責任。
では社会や大人は何をするのかと考えたら、
その子が成功したいと思った時には惜しみなくそれが叶うような環境を整える手助けをしたり、
その子が失敗した時には暖かく次に進めるまでの支えを提供したり、
そんな一歩も二歩も引いた立場での振る舞いが、子ども達自身の中に「なんでもやってみよう。」というようなチャレンジ精神だったり、「失敗しても成功しても、自分は自分だ。」というような大きな自己肯定感をはぐくむのではないでしょうか。
冒頭の「ハイリスク&ノーリターンかもしれない」という言葉ですが、新田サドベリースクールで過ごす子ども達の日常を見ていると、自分にも相手にも何のリターンも期待していないという姿勢が強いように思います。
何をしていても、「良い」とも「悪い」とも判断されず、100%まるごと存在と行動を尊重されていると、「自分は自分」という心持が育ってゆくのかもしれません。