今朝、「ルールとは自由になるためにある」というような趣旨の記事を読んだ。
ともすれば「ルールは縛るもの」「上から押し付けられるもの」というイメージがあるかもしれないがそうではない。例えばサッカーにもルールがあるが、そのルールの中で自由な技術、戦術のもとチーム同士で競い合う。
先週、こんなことがあった。
僕の携帯を子どもたちが借りて調べものをしている時間帯に僕のLineのアカウントが無くなっていた。
携帯にしろ、パソコンにしろ、調べものをしたり、動画を観たりする程度だったらと子ども達に貸したりしていたが、今回のように何かがあったとき、例えば故障してしまったりしたときに、あらぬ疑いを持ちたくないというような気持が湧き出てきた。
その翌日のミーティングで僕のそういった困り感、想いをみんなに聞いてもらい、その日から僕個人のパソコンや携帯を貸すのは控えている。
それと同時に、何か調べものや動画を観たかったりするときは、みんな共用のパソコンを使うようになった。
それまでは特定の男子がパソコンの前にずっと居座り、youtubeを観たり、マインクラフトをしたり、メルカリでモノを販売してみたりと活用していたものが、パソコンを使いたい人が予約をしてから使うようなシステムになった。
そのシステムもみんなでどうしたら平等にみんなが使いたいときにパソコンを使えるかというような話し合いのもと、とりあえず
・時間を30分単位に区切って、時間と名前をノートに書いて予約してからパソコンを使う。
・自分がパソコンを使い終わったら、次の人の為に開いていたページなどを閉じて使いやすい状態で渡す、誰も使う人がいない場合はシャットダウンする。
などのルールを作り今のところパソコンと付き合っている。
今まで男子ばかりがサドベリーのパソコンを使っていたのが、女子もキーボードの打ち方を教わりながらパソコンでドラえもんやらクレヨンしんちゃんなどを観るようになった。
1人がドラえもんなんかを観始めると、割と周りの子たちも観にきたりする。
昨日は女の子たちがクレヨンしんちゃんを見ている脇でKくんも観ていてケラケラと大きな声で楽しそうに笑っている姿が印象的だった。
パソコン1つめぐっても、そこにあるものをどのようにしたらみんなが気持ち良く使えるかをみんなで考えてルールを作る。その過程を通じて学び感じることはたくさんある。
最初反発していた男子も、みんなが使いたいときに使えるという平等な環境の大事さというものを感じ受け入れ、そしてその中で楽しむようになっている。
その民主的なプロセスを間近で垣間見ることが出来てとても嬉しく、気持ち良く、素晴らしいと感じる。
「どうすればここにいる全員が居心地よく過ごすことが出来るのか?」
1人ひとりが勝手気ままに、自分勝手に行動していては決して上述の命題は解決出来ない。
その為の話し合いであるし、その為のルール作り。
そのルールは上から押し付けられるものではなく、みんなで決めているところにとても面白みがある。
パソコンの利用を巡っては、子ども達にとってみては今とても関心ごとなので、これからもちょこちょこと話題に上がることはあるかもしれない。
その1つ1つの動きがとても楽しみである。
また、パソコンのルールがうまれてから時間の使い方にメリハリが出てきた。
会話も増えたし、心が穏やかになっているのを感じる。
昨日はNちゃんのパパがベイゴマを持って来てくれた。ベイブレードが流行った(流行っている)サドベリーで、その原型となるベイゴマの回しに挑戦。
簡単に回せるベイブレードと違って、鉄の塊を紐を使って回すのはとても難しい。
でも難しいからこそ挑戦のし甲斐もあるというもの。
試行錯誤を繰り返しながら、午後にはHくんが回せるようになった。
なかなかベイゴマを回せないからとりあえず紐でベイブレードを回してみて練習したり、ベイゴマを回すというゴールに向かってどのようにしたらそこに到達できるか試行の連続の過程をたどるのは面白い。
最近ますます強く思う。
サドベリースクールは好き勝手過ごす場所ではなくて、
民主的な態度、自由の在り方、他者を尊重する姿勢なんかを実地で感じ学んでいく環境なのだと。
まだまだ雪がたくさんな新田。
土曜日はHくんと雪のトンネル掘りで盛り上がりました。
2人でモグラになった気分を体験。
普段はパソコンで「危険生物」を見ていたHくん。パソコンが使えないとなると、すぐさま切り替えて外の雪遊びへ。
そこにNちゃんやYちゃんも便乗して雪合戦。
なんとなく、晴れたこんな日はやっぱり外で時間を過ごす方が気持ちいいと僕の身体もそう言っていたような気がする。