余白を大きく持って向き合う

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スタッフとして現場に入りながら、「あんな機会があったら良いな。」「こんなことを一緒にしたい。」「僕はこんなことなら得意だから子どもたちとこんなことをしたら良いかも。」

そんな風に「何か」を用意して子どもたちと向き合うこともあります。

でも、そんなものを出来るだけ持ち寄らずに現場に入ることによって、「洋ちゃん、将棋しよ。」と将棋にハマっている男の子が声をかけてきて瞬時に「良いよ。」と応えて対局が始まったり。

「洋ちゃん、算数教えて」と毎朝その女の子と算数の時間があったり。

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「今度ダンス部でビデオを回して撮影するんだ。」

と主体的な活動の芽に触れたりと、それぞれの子どもたちが主体的に輝く姿を一緒に共有することが出来る。

長く生きてきた分、大人は子どもよりも出来ることや経験値が多いかもしれない。

そして、大人たちはそれらの技能や経験を子どもたちと共有したがるかもしれない。

魅力的な大人が周りに多数いるのだから、それぞれの大人の経験値を子どもたちと共有出来たらどんなに良いだろうかと夢想するかもしれない。

でも、日々、そこら中に子どもたちの主体的に取り組みたいと思うものが芽吹いているのも同時に注意深く観察したい。そしてそれらを共有出来たら幸せだ。

ちょっと空いた時間を見計らって、たまった事務作業をしてみたり、裏の山小屋をちょこちょこ作ったりしているが、あっという間に1日が過ぎて、2時45分の掃除の時間になる。

「あぁ 今日も楽しかったなぁ。」

「もう、掃除の時間かぁ。」

と生徒たちの声が聞こえてくると、

「あぁ 今日も良い1日だったな。」と思う。

僕個人的に、「やりたいこと」「やった方が良いなと思う事」あるけれども、余白を大きくもって時間を過ごす先に構築できる生徒との関係性だったり、そこから生まれる生徒の活動にも大きな希望と可能性を感じています。

願わくば分身して身体を2,3個手に入れたいですが、1個の身体で、満足のいく動き、関わりが出来るように日々考えながらやっていきたいです。

【文 長谷洋介】