「明日一緒にお絵描きしたい。」Khちゃんが帰り際に唯ちゃんに話しかける。「いいよ。いつする?明日の朝の会の後とか?」と2人で翌日の予定を立てて、Khちゃんは満足した顔でスクールを後にする。
翌日午前中いっぱいゆっくりと絵を描いて楽しむKhちゃんと、同じ空間でやはり絵を描いたり、折り紙をしたりして過ごすグループが出来上がった。
自分の好きなキャラクターを描いたり、唯ちゃんに書いてもらってそれに色を重ねて行ったり。
ゆっくり、密な、そして豊かな時間が流れていた。
「自分の好きなキャラクターは失敗したくないんだよね。」「分かる~」とかいう会話が漏れ聞こえてくる。
ゆっくりお互いを分かち合う時間。
人間はある程度自分のことを理解してもらいたいという欲求があり、理解してもらうためには自分のことを理解してもらうことが必要だったり。そんな時間がゆっくりと絵を描く行為を通じて行われていたような。関係性の構築、信頼の積み重ね、時間をかけてゆっくりと育まれていくものだと思います。
世界を席巻しているマインクラフトですが、最近はKくんが熱心にやっているMOD作りがスクールでも徐々に波及してきているように感じています。
予め与えられたものだけでなく、自らデザインしたものがそのゲームで使えるようになってくる。ゲームクリエイターの領域じゃないかと思っています。
マインクラフトも基本的にはブロックを使って、どんどん自分好みの仮想現実を創造していく遊びだと思いますが、人が作った仮想現実を利用して、そこで様々な遊びを(時に複数人で)プレイするというような遊び方も流行ってきていて、もうなんだか「マインクラフトすごいなー」、「どんどん遊びが派生していくじゃん」って感じています。そして、インターネットで繋がっている世界では、どんどんそんな遊びの達人たちが自身の遊びを発信していて、他人の遊びをネットを通じて共有することが出来ます。
「あぁこんな遊び方もあるんだ。」「こんな学びもあるんだ。」「こんな働き方もあるんだ。」「こんな世界もあるんだ。」インターネットは本当に情報の民主化を生み、自分の世界を広げ、豊かな選択を提供してくれていると思います。
そこで重要になっていくのは、やはり最後は「自分」で、自分がその溢れる情報から何を選択していくかが問われてくるのだと思います。
インターネット等が提供してくれる膨大な情報、親や周りの大人が「ゲームなんて、インターネットなんて、画面なんて」っていうような情報、「遊んでばかりで勉強は大丈夫なんか?」というような心配の声、生徒たちは日々色々な情報に触れ、そしてその中から自分なりに考えて、選択していく日々です。
そして、その姿勢・態度はスクールを巣立ってからも必要だったり、迫られるもので、結局自分の手にしている世界の中から何を選び、どのような世界観で生きていくかということ、大げさに言えば覚悟のようなことだと思います。
そこに普遍的な共通点ももちろんあれば、かみ合わないところも出てきます。
それは世代的なこともあれば、価値観のようなものもあるでしょうし、置かれている状況の違いもあるかもしれません。
それはちょうど僕が一世代上の人と話し、接し、協働するときに感じるものとも似ているかもしれません。
そんな違いを感じながら、でも、お互いの事も尊重しながら、あれたらと思っています。
昨日はとても天気のいい一日でした。
午前中室内でWiiUで遊んでいたKくんYちゃんHくんの3人組がお昼からは外に飛び出してきて改良されたブランコでどこまで高く遠くまで飛べるかの遊びに興じていました。
2段目から、3段目から、4段目から、5段目から助走をつけて高く力強く飛ぶ。
怖かったり、出来なかったり、自分の気持ちと能力と相談しながら。
きっとゲームで遊ぶのも楽しいし、こうして外で身体を動かして遊ぶのも楽しい。
優劣は人それぞれの中にあるもので、認め合うところから共生の道は広がっていくのかもしれません。
Yちゃんは早々に着地に失敗してしまい、ズボンに穴があいてしまったり、膝小僧に擦り傷をつくっていたり。
お気に入りのズボンに穴があいたのは残念だったけれど、Yちゃんのそんなおてんばな一面も愛らしかったり。
外で、中で、様々な時間を過ごしながら、自分の身体と心と向き合っているのだと思います。
その子その子にとって必要なものが必要なタイミングで過不足なく届きます様に。
文: スタッフ 長谷洋介