デモクラティックスクール業界では良く、卒業は「その子がここでの時間を十分に過ごし、学び、次のステップに進むという段階で、みんなに卒業生として認められながらスクールを後にしていく。」という形をとっているところが多いように思います。
「卒業」という形を取らずに、次のステップに挑戦していく生徒たちもいます。
生徒の気持ち1つで「卒業」という形をとるかとらないかも決めていきます。
この春にも数名の子がスクールを後にし、新たな挑戦の場へと踏み出します。
出会いがあれば、別れもある。
生きていく上では当たり前のことですが、ついつい感傷的になってしまう今日この頃です。
中でも開校当初から通って来てくれていた生徒がこの春、東京の高校へ進学(Hくん)、地元鳥取の中学に進学(Sちゃん)します。
今でこそ、学校の行き帰りのバス、そしてバス停からスクールまでの道は通学してくる生徒数名でワイワイと賑やかになってきていますが、最初はHくんが1人で通って来てくれていた道です。
山奥でスクールをすると決めた時に
「誰がこんな山奥に通ってくるものか。」
という声が聞こえて来たり、
利用してくれる家庭からも
「もっと町中で交通の便の良いところに。」
というような声もありました。
雨の日も、雪の日もそれでもHくんは
「あぁ濡れたぁ」とか「雪が靴の中に入るし」とか言いながら通って来てくれました。
そんな風にして、最初はHくん1人だったのが、2人になり、3人になり・・・。
Hくんは中学3年になる直前の2月から1年間スクールを休学し、自学し(地元中学へ半日通い別室で勉強したり)、高校進学することになりました。
Sちゃんは開校当初は2年生でした。
1年生のときに在籍していた学校でしんどい時間を過ごし、引っ越してきました。この度、中学進学を機にスクールを離れて地元の公立の学校に進学することになりました。
進学するに際して、中学入学後に勉強についていけるように最後の1年間はスクールでも勉強に積極的に取り組んだり、北海道のおばあちゃんの家で勉強合宿をしたり、塾に通ったりもしました。
2人にとってはまた新しい場所で、新しい挑戦です。
こういう現場で、こういう仕事をしていると、スクールとしてもっと何か出来ることがあったんじゃないか、個人的にもっと出来ることがあったんじゃないかと思う事も振り返れば多々あります。
でも、彼(彼女)がここで過ごした数年間が、いつの時か「あのとき過ごしていたあの場所は・・・」「あのときのあの出来事は・・・」と振り返った時に思い出すような、繋がるようなそんな場所であれたら幸せだなと思いながら、ただただ2人の新たな門出を心からお祝いすると共に、いつも2人の事を心の中で応援していく気持ちです。
前述の2人の他にも、たくさんの生徒が新田サドベリースクールに共感してくれて、利用してくれています。そしてその生徒のタイミングで離れていきます。
自主自立
主体的に選択し行動
まずやってみる
挑戦
自由と責任
そんなキーワードを常日頃から感じる日常を過ごすスクールの生徒たちと、ここを巣立っていく生徒たち。
スクールを後にした生徒たちのその後の人生も、その生徒が人生の主人公でありますように。
文:スタッフ 長谷洋介