パッと新田サドベリースクールで過ごす子どもたちの姿を見たときに「ゲームばかりして」「パソコン画面の前でyoutubeばかり見て」と、「それで大丈夫なんだろうか」、「もったいない時間の過ごし方をしているんじゃないだろうか」と感想を抱かれる人は多い。
かく言う私も、ゲームやyoutubeなどで時間を過ごす事よりも、何かを製作したり、新しい何かに取り組んだり、面白い人の生き方に触れ影響を受けたりということが好きな部類の人間で、サドベリーで(家庭でも)積極的にそういった画面の前に自分の身を置くことをなるべく避ける様にしている。
ただそれは、35年間という人生を私が経験してたどり着いている今の心境(好み)なのであって、6歳・10歳・15歳の子どもたちにとっては今それらを通じて様々なものを獲得して行っている最中なのかもしれない。
Youtuberがこれだけ子どもたちの心を掴むのは「これしたら面白いんじゃないか。」と多くの人が興味を持っていることに対して代わりに実践し動画を投稿しているからかなと思う。それは何か商品を買って実践してみるという類いの軽いものから、仲間とアマゾンに探検に行ってみると割とヘビーなものまである。
インターネットは世界を小さくした。
実際にyoutubeを見て、スライム作りにはまって自らもとても高いクォリティのスライムを作ってみたり、ダンスを何回も再生させては模倣しこれまた高いクォリティのダンスを仲間と踊れるようになったり。
私自身も、今年度から子どもがサドベリーに通う保護者となった。
保護者の中には、子どもが毎日楽しそうに元気にしているだけでそれだけで満足という保護者もいれば、
せっかくなのだから、外で思い切り遊んで欲しい、算数でも歴史でも良いから自分の興味のあることをとことん深めて行ってほしい。多様な大人に触れて色々な価値観を身につけてほしい。たくさん仲間と議論しコミュニケーション能力を高めてほしい。
と、「せっかくなんでも好きなことが出来るという環境なんだから」と、こうあって欲しいなという思いを強く抱く保護者もいる。
色々なタイプの保護者がいる。それは人間それぞれだから当たり前なことだとも思う。
自分が自分の子どもにこうあって欲しいな、こういう毎日を過ごしてほしいなという思いは持ちつつも、それが多分に前面に出てくると、当の子どもとしては鬱陶しく感じることだろう。そこには上手なコミュニケーションの在り方が必要になってくるだろうと思う。
かく言う私も、そういった思いが前面に出た中で息子と会話しようとすると、途端に鬱陶しがられピシャンと心のシャッターが降りてしまうということを何回も経験している。
きっとサドベリーの子どもたちは親(大人・社会)が何をしたら喜ぶのかを敏感にキャッチしながら、その中で自らの生活をデザインし日々過ごしているのだろうと思う。
前置きが非常に長くなりました。
サドベリーに子どもを通わせる中で何が一番かなと考えたときに、子どもを信じ「自分の人生を自分でデザインする力を養う」というところが一番かなと(他にもあるかもしれませんが)思います。
幼い時から、自分と向き合い、自分と向き合う中で他者(社会含む)と付き合い、その中で自分が何を好きか、何をしているときに心が躍るか、いかに日々を過ごすか、誰からも指示されることなく自ら考え実践していく。
誰しも、つまらない人生よりも面白い人生を生きることを望むものだと思います。
その自らの面白い人生の実現の為に何が必要で何を頑張らなくてはいけないのか。その実現の為には大変な苦労を伴うことももちろんあるかと思いますが、その軸がブレずにしっかりと進んでいくエンジンを搭載していれば1歩1歩見据える未来に向かって歩みを進めていくことが出来るのではないでしょうか。
きっと新田サドベリーで過ごすということは、その人生の羅針盤とそれに向かっていくエンジンを手にしていくことだと思います。
大学進学が自分の人生にとって必要と思うのであれば、目的意識を持って進学することでしょう。日本にいながらでも16歳(中学校卒業年齢から)から高認試験を受けて16歳から海外の大学に進学するケースもあるみたいです。日本のキャリア形成のメインストリームから比べると2~3年早く大学という高等教育を受けることが出来るということです。
ヨーロッパの方へ行けば、外国人であっても大学の授業料が免除になり無償で大学教育を受けれる国や地域もあるそうですし、様々な奨学金もあることでしょう。
そこら辺の「ただなんとなく、周りのみんなが大学進学するから」と大学へ進学する生徒とはスタートの時点で成熟度が異なります。
大学進学を奨励しているわけではありませんし、なるべく小さい年齢で大学へ行くことが良しでもないと思います。そのタイミングは20代になってかもしれませんし、30代かもしれません、でも自分が「したい」と思ったときに柔軟に対応出来たら良いなと考えます。
生き方は多様であって良いはずです。
その多様性を社会が寛容性を持って認めてあげられたらと思います。
とてもこじんまりとスタートした新田サドベリースクールですが、生徒の人数も増え、それに伴い保護者の数も増え、スタッフも増えと様々な人間模様(価値観)の中で日々生活しています。
「でもあなたはそう思うんだね」と認め合いながらあれているのかなと思いますし、認め合いながらあろうとしている努力も見られます。
私は今、新田サドベリースクールのウェブページで文章を発信していますが、発信することが「スクールの総意」と見られては困るという意見も聞こえてくるようになりました。
「スクールの総意」というものを1つ1つ確認してからでは何も発信出来なくなってしまいますので、文章の最後に誰が書いたものか明らかにしたら良いんじゃないかという意見が出まして、最後に署名するようにしています。
色々な考えの人がいて「あなたはあなたであって良いんだよ。」という雰囲気に包まれた場所がサドベリースクールの1つの顔なのかなと感じています。
長くなりました。
少し見ただけでは「ゲームばかりして」「youtubeばかり見て」と見えるかもしれませんが、その向こう側に色々と見えてくる景色があって、その景色があるから僕はサドベリーと関わっています。
関わっていてとても面白いです。
願わくばその向こう側に見える景色をより多くの人と共有出来たら良いなと思っています。
新田サドベリースクールのスタッフの1人として働く個人の1意見です。
【文 長谷洋介】